Cultural Property

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重要文化財 願泉寺本堂
寛文3年(1663)に、再建された浄土真宗本山級の本堂で、格式・規模ともに大阪を代表する重要文化財建造物と言えます。
大工棟梁は、三ツ松村(現貝塚市三ツ松)出身の岸上和泉守貞由と伝わり、貝塚寺内や近隣の人々から寄進を受けて建設されました。
桁行(幅)27.8メートル、梁間(奥行)27.0メートル、屋根は入母屋造、本瓦葺で、正面に向拝を備えています。
内外陣境の欄間には、、中国の説話「二十四考」を題材とする生き生きとした彫刻が施されており、内陣の色彩豊かな天井絵や各所にあしらわれた数々の木彫とともに、装飾性に富む本堂建築の見どころとなっています。
また、外陣周りの建具には蔀度(しとみど)が採用されており、古風な一面を窺うことができます。
平成大修復により、ほぼ全面的な改修・屋根瓦の葺替が行われ、宝暦11年(1761)の親鸞聖人五百大遠忌の際の姿が復元されました。
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重要文化財 願泉寺表門
表門は、延宝7年(1679)に再建されたものです。大規模な四脚門の様式で、屋根は切妻造、本瓦葺です。
正面の冠木長押(かぶきなげし)上の龍の彫刻は、元禄3年(1690)に、岸上和泉守の弟子、和泉嘉右衛門によって作成された見事なもので、今回の修理により、一部の彩色が復元されました。
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重要文化財 築地塀(附)・目隠塀(附)
築地塀は、寛文11年(1671)の再建です。壁面の横線は「定規筋」と呼ばれ、五本線は本院が「門跡寺院」であることを示しています。
本堂正面に設置された目隠塀は、本瓦葺の築地塀です。類例の少ない建造物で、その用途は明らかではありません。
築地塀や目隠塀は、鐘楼とともに重要文化財の附(つけたり)として、伽藍を構成する大切な建造物です。
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重要文化財 願泉寺太鼓堂・鐘楼(附)
太鼓堂は、享保4年(1719)に建立された二重・二階建の堂で、屋根は入母屋造、本瓦葺です。内部には仏事で使用する太鼓が備えられています。
平成10年に台風被害に遭い、平成大修復に先立って修理されました。
鐘楼は、昭和20年の空襲によって焼失したため、昭和23年に貝塚市森の青松寺から移築されたもので、元禄15年(1702)の建築です。
平成大修復では、屋根瓦葺替等のほか、基壇の改修や礎石の交換も行っています。
つりさげられている銅鐘は、鎌倉時代の貞応3年(1224)に鋳造され、現在は大阪府文化財に指定されています。
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貝塚市指定文化財 願泉寺経蔵・井戸屋形(附)
経蔵は貞享5年(1688)に建立された経典の収蔵施設です。土蔵造で、屋根は宝形造、本瓦葺です。
井戸屋形は文政元年(1818)、大工棟梁、岸上六兵衛により建立されたものです。吹放し形式で、切妻造、本瓦葺です。太鼓堂と同様、平成10年の台風被害により修理されました。
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貝塚市指定文化財 願泉寺書院
書院は、本堂の背後に位置する座敷四間と茶室で構成された江戸中期の建造物です。
江戸時代に寺内町の政庁であった「卜半役所」の一部で、主に、紀州藩主の参勤交代の際の宿泊施設として使用されたと伝えられています。
「花鳥の間」と呼ばれる奥座敷には、四季の移ろいを描いた山水の障壁画が残されています。江戸中期、京都の狩野派の手によるものといわれています。
重要文化財の平成大修復と同時に修理が行われ、各所の修復と同時に、二階の屋根裏部屋が復元されました。